携帯する機器で大切なことは
「ふち」なのではないかと、この頃思った。
スマートフォンのために
ずいぶん剛健な感じのケースを買って、
それを取り付けて使っていたが、
これは違うというような気持ちが
毎日蓄積されていって、ある日とうとう嫌になった。
それで、私はケースを外してみた。
そして気付いた。
滑らかに優しい角度で加工されたふちに。
私は今までこの美しいふちに
手をかけることなくこの機器を使っていた。
それはとても勿体のないことだった。
この感触こそがデザインというものだった。
私は感触というデザインを無視していたのだった。
ケースを付けていては分からないことが
私には分かるような気がした。
そのような対話もあるのだと思う。
私はいつもふちを歩いている。
大切なことはふちの周辺にあると思う。
あらゆることがそうである。