「いつも電波を出すようなものを持ち歩きたくないの」
西山さんはそう言った。
「でも、そこら中の人がそういうものを持っているから
自分で持たなくても、すでに電波に囲まれているじゃないですか」
「分かっているの、分かっているけど、身の回りに電波が飛び交っている
ところを考えるとこうわーっとした感じで、
だから自分からそういうのを持ちたくないの」
西山さんは携帯電話を持たず、外にいる時はいつも
公衆電話で電話を掛けていた。
「でも最近家族から連絡がつかなくて困るから
頼むから携帯電話を持ってくれって言われていて、
どうしようかしら」
「まぁとりあえず、持ってから考えたらどうですか
持つ前に考えることと、持ってから考えることって
結構違ったりするものですよ」
「そうねぇ」
西山さんは、わたしの携帯端末を横目で見てから
珈琲を一口飲んで首をかしげ、どこか遠くを
見ているような目で窓の外を見た。
誰もが何でもないと思うようなことだとしても、
そこを簡単に通り過ぎられるかどうかというのは
その人の「信念」のようなものによるのではないかと
わたしは思う。
信念は、その人をその人らしくするものでしょう。
ひとの数だけあるものにとっての正解は
ひとの数だけあるのでしょう。
自分なりの真理というものを他者に押しつけてはいけない
と、この頃わたしは思っている。
しかし、それすらただわたしの信念なのである。