冬の一日

気が済むまで眠ってみると
昼はとっくに過ぎている。
遮光カーテンというもののせいだと思う。
光を遮ることによって
眠りはどこまでも広げられる。

光はいきなり失われることはない。
夕方というものがある。
それは失うための儀式である。
オレンジ色は救済する。
たとえ冷たくなってくるのだとしても。

このごろはあらゆることから
儀式的なことを省く。
様々なことが突然やってくる。
そういったディジタルな現実に
生身のものが対応できるわけがない。
徐々に夜は明けて
徐々に日は暮れるべきなのである。

そして私は「棘」について考える。
棘、というものは抜かれるべきものであるが、
棘は自分で抜くのではなくて、
誰か別の人によって抜かれるべきではないか。
他人でなければ、抜くことはできないのではないか。
そしてそれは確信である。

テンポとはどのように時間を切り分けるか
ということだと思う。
等速に合わせなくとも、
割ったり掛けたりした倍率で調節すれば
もう少し上手に生きられるのではないか
そういうふうに思う。
すべては音楽であり、音楽の中にすべてはある。

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