「祝日」というのはよい言葉だと思う。
何かを祝うことの喜びが
体のどこかに格納されていて、
そういったことがあたたかく
溢れ出してくるようなことだと思う。
しかし、現在の日本の祝日というものは
単なる休日であって、
たぶん誰も何も祝ってはいない。
その証拠に祝日を月曜日に移動しても
誰も文句を言わず、合理的だと思う。
ずっと昔の記憶にとどめておくべき日を
祝日にするのではなくて、
こころからあたたかくなる日を
祝日として更新すべきではないだろうか。
クリスマスがやってくるこの季節に
いつもそういうことを考える。
休まなくてもよい
私は私にとっての祝日を持ちたい。
からだにもこころにも寒い日が続く。
この季節はこんなに寒かっただろうかと、
よく思うけれど
こんなに寒い時も、そうでない時もあったのだ。
地球が変わってゆくのだとすると、
地球の一部である自分も変わってゆくのだろう。
今は今しかないのに、同じ事が
また繰り返されると思うのはなぜだろう。
レコード盤のように、
ぐるぐると回っているけれど、
一枚の音をすべて奏で終わるまでに
同じ溝は一度しかトレースされないのだ。
私は日々を
精一杯生きているわけではないかもしれない。
しかし、どちらにしても
日々を下ってゆくひとつの塊である。