長崎を旅していました。
遅い夏休みだったのです。
「いつか」などというものは
ほぼ永遠に来ないことを知っているので、
行くことにしたのです。
祖父が島原の生まれだということを
知ったのはそんなに昔ではありません。
しかし、生前祖父はそのようなことを
私にはまったく語らなかったし、
誰かに長崎の話しをしているのを
聞いたこともなかったのです。
また、祖父が長崎に行くことも長崎から誰か
親類が来るといったこともありませんでした。
大人になるまで私は
祖父は同じ土地に生まれ、自分と同じ
小学校を出たのだろうと思っていました。
しかし、祖父は少なくとも
今で言う中学生くらいまでは九州に居たはずで、
私が生まれた土地に来たのは、
二十歳をとうに過ぎてからなのです。
たった二世代、三世代前のことすら
分からないというのが不思議です。
人の種は植物の枝のように別れてゆきますが、
ほんの一カ所でも途切れていたら
私の存在は無いわけです。
種を運んで来た人々のことを私は
あまりにも知らないのでした。
せめてもの償いというわけではありませんが、
島原半島を周り、五島を巡ってきました。
海は穏やかで
満たされた水そのものでした。
そして静かな祈りがありました。
何かを見つけたわけではありませんが、
旅から帰ってくると、いつも何かが変わっています。
少しだけ地面から浮き上がっているのです。
私がここにいなかった時間の分だけ、
何かがずれているのです。
そのことが自分にとって良いことだと私は思っています。
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