ランダムを翻訳すると無作為だと辞書は言うが、
どうも何だか違うような気がする。
順不同というのも違うし、手当たり次第っていうのは
たくさん、という裏があるような気がする。
たとえば目を閉じて、蜜柑箱からひとつの蜜柑を
取り出す行為はとても意図的なものだと思うのだ。
所謂ひとつの形而上の何かしらの選択方法というか
そんな気がするのだけれど。
起床装置的な物が寝台のそばにあって、
それには古いiPodが刺さっている。
朝になると、機械的な何らかの方法によって
並び替えた順番で音楽を演奏する。
まどろみのなかで聴く音楽というのは
とても大切なもので、心に近い所にあるのだが、
そのような安易な方法で選択してよいのかと思うが、
私にはそれが時々思わぬ効果をもたらす。
ヨンシーとアレックスのアルバムがかかったのだ。
そんなアルバムを買ったことさえ忘れていた。
円盤はケースに格納され、棚に折り重なっており、
私がそれに価値を見いだすまで取り出されることはないのだ。
そしてそのアルバムの音響が
とても重要な変化を私にもたらせたのである。
いや表面上は何も変わりはしないのだけれど、
どのように意識の底から意味のあるものを取り出すか
といったようなことを。
宇宙的な孤独のひとつの光を。