存在

植物には音が聞こえている
という記事を読んで、
ああやっぱり、と思った。
そんなこと小さい頃から知っていた。
人は科学の裏付けというものがあると
様々な事を信じられるようになるのだが、
私はたぶん何も信じてはおらず
また信じていなくもない。
つまり何かに意味付けすることが
あまり好きではないのだと思う。
気配というものを
静かに感じられればいいのだと思う。
幼い頃、ひとりで山の中を歩いていた。
兄も友達たちともはぐれて
心細いような気持ちだったけれど、
落ち葉を踏んで
光の当たる場所を歩く時
何かに果てしなく包まれていて
孤独感というのはまったくなかった。
植物の声が聞こえていたわけではなかったが、
存在というものの感触を
その時に知ったのだろう。

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