春について

春が来ると人は新しい気持ちにならなければならないと思っている。それは年度というものが何もかもを区分けしてしまうからに違いない。そう思いこんでいるからに違いない。春になれば桜が咲き、桜が散り。別れたり出会ったりする。そういうことになっている。それが当たり前ということになっている。実際そうなのかもしれない、しかし、僕はそういうことや季節がとても落ち着かなかった。季節が巡ってきたからといって何かをするためのきっかけにしなければならないなんて、何か違うような気がしていた。ただ、そうして少し浮き上がったような気持ちになることを逆手に取ってみると、もう一度何かが出来そうな気持ちが蘇って、僕は思わず苦笑する。何かを始めるのに遅すぎるということはない、とかなんとかよく格言みたいに言う人がいて、メディアで有り難く取り上げられていたりするけれど、あれは嘘だと思う。遅すぎることなんて沢山ある。遅くなかった、と思うことがその絶望感を和らげるだけで、実際は遅すぎるのだ。どうせそこそこまでしか出来ないのだ。いつかなんて絶対にやってこない。そうやってネガティヴな気持ちを充満させて春はゆく。そう、結局僕も春になれば何かを始めなければならないと思っているのだ。それこそが、絶望というものだろう。

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