ないもの

大切なものは目に見えない
と書いたのはサンテグジュペリだったけれど、
あるように思えてもないもの、というのは
実は動詞ではないかと思っている。
それは「物」としてそこに存在しているのではなくて、
「行為」なのではないかということ。
だからいくら探しても見つからないのだろう
そういうふうにこの頃思って、妙に納得している。
おこない続けていることによって
それは見えるような気がするのだけれど、
やめれば、たちまち霧散して
どこにも見えなくなってしまう。
それは光、と言ってもいいかもしれない。
昔の自転車のライトのように
ダイナモで発電して灯すもの。
停まればたちまち闇の中なのだ。
しかし停まっている時は闇でも構わない
照らす必要などない。そういう設計なのだ。
ないものは必要がないからないのであって、
必要があるならばしかるべきことを
行うことによって現れるものなのではないだろうか。

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