コヤニスカッティ

朝、駅前で拡声器を使って、
何かしらの主張を空に放つ人がいる。
彼らの多くが政治という仕事をして
生存している人たちである。
私は彼らが何をしたいのかよく分からない。
ネガティヴな主張に賛同する人を増やしたいのか
それともポジティヴな意見を広めたいのか。
活動している感で自分を満たしたいのか。
いずれにしても私の
ほんの少しの駅前の通過時間を
憂鬱な波動で埋めている。
歌でも歌ったらどうか
と思う。
音楽というものは短いフレーズで
人を癒やすことができるし、
また想いの形を伝えることができる。

この頃は、どんなメディアから
流れてくる言葉も嘘っぽく聞こえる。
私の場合は「納豆がダイエットに効果的」という
ずっと昔の番組がきっかけだが、
それを信じて毎日納豆を食べるようになった友人を見て
空恐ろしいものを感じた。
何ですかそれは、と思った。
そんな馬鹿な話しがあるもんか、と私は言ったが、
友人は、いやなんだか効いているような気がすると言った。
そしてメディアが、あれは嘘でしたと報道すると
友人は、嘘だったんだってね、すっかり騙されたよ、と言った。
嘘だったことでさえ、メディアの言うことを信じている。
「いや俺には効いてるよ」と私は言って欲しかった。

バランスというものはすでに損なわれている。
ドラマの最後に
「このドラマはフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。」
というクレジットが入っているけれど、
この世界の物語もフィクションなのだと思う。

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