祖父は黄色い衣を着ていた。
手に大きな升を持っており、
その中に沢山入っている煎った豆を
各部屋に控えめにまいた。
何かぶつぶつと唱えていた。
節分という行事において
豆をまいて鬼を追い払うのは
いつも祖父だけだった。
みんなで何か叫ぶようなことはなかったし、
誰も鬼にはならなかったし、
人に向けて豆をまくこともなかった。
その他の人々はただぼんやりとそれを見て、
それから自分の歳の数だけ、
豆を食べるのだった。
幼い頃、私は禅寺に住んでおり、
祖父は僧侶だったから
少し特殊な環境だったのかもしれないが、
それは呪術のようでも祈祷のようでもあり、
神秘的なことだった。
近代においては何事も
一般化され、そして何らかの形で商品化され、
庶民に対して販売されるようになっている。
もちろんそれが愉しみや糧であれば
よいと思うけれど、
もっと遠くて近寄りがたいことであっても
いいのではないかと思う。

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