師走

最後のカレンダーをめくると
師走というものが当たり前のようにやってくる。
空は穏やかに晴れて
ベランダには光が溢れているけれど、
着実に光の色は変わっていて、
冷たい世界の訪れを予感する。
イチョウの黄色ははらはらと落ち
木々は空を突き刺すようになる。
低い土地にまで
紅葉というものが侵食している。
「晩秋」という言葉は寂しさをたくさん含んでいて
とても憧れる言葉だけれど、
それを味わうだけの余裕というものが
今年の私にはないようだ。
人は同じように見えるけれど、
年々入れ替わっているものだから、
すでに去年の私とはだいぶん違う。
何も支度をしなければ、それまでのこと。
間に合うかもしれないと
思い続けていることへの憐憫のようなものが
そこここに積み重なっている。

信頼すべき師を持つことが大切だと思う。
言葉の浸透力というのは
信頼によってのみ強められる。
聞き慣れた当たり前の言葉でも
ある日、自分を射貫くような衝撃をもたらす。
そうなると言葉の意味の多様性というよりは、
どこまで深く入ってくるのか
ということなのだろうと思う。
単純なものを深く受け入れるということが
すなわち悟りなのである。

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