スーパーの灯りの下に
蜜柑が積んであった。
その球体は、ばら売りで、
ひとつ38円だった。
私は三つカゴに入れた。
三つ買ってもトマトひとつより安い。
小さい頃は蜜柑を主食みたいに食べていた。
家族という団体の中にあって、
蜜柑は段ボール箱で買うものだった。
しかし、この頃は少しあれば十分だ。
家族という団体に属さなくなったことと、
私もずいぶん歳を取って
蜜柑に対する情熱が冷めたのだろう。
蜜柑は木の実である。
それは子孫を残すための舟のようなものだろう。
暗い宇宙を彷徨うように、
私の元にやってきたのだろう。
私は蜜柑の子孫ではないが、
蜜柑の皮を剝いてそれを食べる。
もしかしたらそれはとても野蛮なことかもしれない。
しかし許されている。
私たちは許されたことを許された範囲で
行うように躾けられている。
冬が来たのだと思う。
冬は堪え忍ぶものか、乗り越えるものか、
どちらにしても平坦ではないが、
とりあえず静かであるということが
好ましいことではあると
思っている。