九月三十日

九月が終わってしまうと
迷いがなくなるから
それはそれで
よいことだと思う。
それは、
もしかして夏かしら
などと思わなくてもよい
ということである。
もしもこれから
とても暑い日があったとしても、
夏のように暑い秋の日
と、言えばよいのである。

入力に対して
心と身体は並列に接続されており、
流れ込む様々な
喜ばしいことや
嘆かわしいことや
哀しみのようなものは
等距離で届いている。
身体は心の配下にはいない。
このところどんどん増え続ける
わたしの体重というものは
単なる脂肪細胞だろうか。

失うことが
悲しみのすべてではない。
失ってもなお
残像のように
胸に存在するものがある。
そういうものを
見つけられたことこそが喜びである。

さようなら九月。
もし、また会ったら
はじめまして、と言うよ。

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