砥石

赤いトマトの背中に刃を当てて
すっと引く。
そうするとわかる
切れるか切れないか
そういうことが。
最初はとても鋭くて
いろいろな野菜や肉を
美しく切り分けていたが、
そうやってたくさんのものを
分断しているうちに
すっかり切れなくなって、
力で何かを
分けてしまうようになる。
トマトなどは刃先でまず突いて
裂けた場所を押し開くように
しなければならない。
それは本意ではない。
役目でもない。
だから刃物は研がねばならない。
切り分けることが仕事だから。
いつも鋭利でなければならない。
引き出しの奥にあったはずの
セラミックの板のような
砥石とは呼べないような砥石は
行方不明だった。
私は七百五十円出して、
くるくるまわる石のようなものが
はまっているプラスチックでできた
砥石というものを買った。
刃を押し当てて、何度か
行ったり来たりすると
鋭さが戻っているのだという。
刃物は、その力を取り戻す。
トマトをまるで空気を切り分けるように
さらりと二つに分ける。
力を入れない、そして押さない。
ただ引くのだ
それだけで、世界はふたつになる。
そうあるべきだった
そのことに気付く。

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