過去を届ける

録音技師になりたかった。
そう思って都会に出て来た。
昔の話だ。
しかし、なぜ録音技師だったのだろう
という問いはしてこなかった。
楽器はからっきし駄目だけれど、録音技師ならば
いつも音楽のそばに居られる。
私はそう思っているだろう、と思っていた。
しかし、それは、自分にそう思い込ませようと
しているだけで、本当の理由とは違っていたりする。
直感というものを手なずけようとしている。
安易な解釈は間違っていると感じることが最近増えた。
少し、潜って考えてみると、
かちんとなにか堅くて冷たいものに触れる。
それから、その周辺を注意深く調べてみる。
録音技師になりたかったのは、たぶん、
過去を扱いたかったのだ。
録音も録画も、それは過去を記録することだ。
過去の時間を何らかの媒体に閉じ込めて、
未来に送ることなのだ。
私は、過去をあつめて、
未来の世界に住む誰かに届けたかったのだ。
そして、共感を収集したかったのだ。
自分が見たり聴いたりした美しい過去を、あなたに見せて
同じ気持ちを育て、それから共感を刈り取る。
それこそが、私の目的だったのではないだろうか。
中学生の時、図書室で録音技師が書いた本を手に取った時
これだと思った。理由は考えなかった。
若さには理由が必要ないのだ。
しかし、今、私は録音技師ではない。
歳も取った。
なぜ録音技師にならなかったのか。
たぶんその意味をよく考えなかったからだ。
見せかけの理由を鵜呑みにしていたからだ。
考えなければ、本当の目的なんて分からない。
自分は技術というものに興味があるに違いない
といった暗示の魔法を、自分にかけてしまう。
そして、それをほぼ永遠に信じ続けることになる。
けれど、長い時間が経って、それから入り口に戻ってくる。
穴の入り口に立って、そうだったここが入り口だったと思う。
それは郷愁のようなものだ。
もちろん、思うだけで、そこから入ってみるだけの気力も
時間も残されてはいない。
残された時間の目方を量ることばかり考えるようになっている。
しかし、知るということだけは
今からでも出来るだろう。

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