フォローミー

月は美しい三日月だった。
夜になってまた風が出て、
帰り道の自転車は
私を冷却した。

駅前のドラッグストアには
沢山の商品が並んでいるが、
欲しいと思う物とどれも微妙にずれていて、
何を買っても、買ったことによる
喜びというものが得られない。
すなわち、代用にはなるのだけれど、
本当はこれじゃなかったんだけどな
といつも思う、ということである。
それは私ばかりではなくて、
シャンプーを二種類
両手に持って見比べていた女性は
さんざん悩んだあげくに
両方とも棚に戻して何も買わないで
店を出て行った。
そう、気に入らないものを
買わないのが正しい。
私はいつも他を探すのが面倒で
代用品を買ってしまうのだけれど。

最近では、フォローしたり
フォローされたりするということが
すっかり普通のことになってしまって、
関連というものが、分かりやすく
析出しているように思う。
しかし自分の形というのは、そんなに
明確なものだっただろうか
と、この頃思う。
あるいはそういったことを
明らかにすることが、個々にとっての
幸せに繋がるかのように
仕向けられていて、
その実、お金をかき混ぜることに
荷担させられているような気もする。
人は何らかのコミュニティに属さなければ
正しく生きていると見なされないし、
自己の感情も満たせない。
それはとてもやっかいなことだけれど、
実はそのことで随分助かっているのかもしれない。
とも思う。
何事も微妙なものである。

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