春の物語

春が行く。
と、言ってもまだ三月で、春は始まったばかりだ。
このところ、季節は早回しで
桜は満開になろうとしている。
まるで、ビデオの早送りボタンが押し込まれているようだ。
人の季節も早回しにならなければいいけど、と思う。

別に厭世的なわけではないが、
私は花見の季節があまり得意ではない。
沢山の人が同じ所に集って
酒を飲んで騒いでいるということが
すなわち花見だとは思えない
ということでもある。
「花を見る」ということに対して
もう少しなんて言うか、芸術的な視点というか
そういうつもりがあるのだと思う。
美術館でだれも宴会をしないように。
もちろん、いつも言うように
価値観は多様であってよい。
私は私だと思う。

先日、知人が亡くなった。
知人と言っても、15年くらい前に住んでいた
アパートの大家のオヤジさんであるから、
相手が私を憶えているかどうか、分からないけれど。
「井上君、ヘラブナを釣ったことはあるかね」
ある日、オヤジさんはそう言った。
「いや、無いですけど」
「そうかい。ヘラブナはね、奥が深いんだよ」
「はぁ」
近所の公園の隅に、小さな釣り堀があって、
そこでヘラブナ釣りができるらしかった。
オヤジさんはその釣り堀に足繁く通っていた。
「ヘラブナってのはね、だまって釣り糸を垂れていれば
 いいってものじゃなくてさ、ちゃんと奴らの鼻先に
 針を持っていかないと駄目なんだ。しかも食いついた
 瞬間に上げないと、餌だけ持って行かれる。
 頭脳戦なんだよヘラブナ釣りは」
たしかにオヤジさんは気が短くて近寄りがたかった。
「今度一緒に行こう。俺が教えてやる」
なんだか、あんまりありがたくない話しだなぁと思った。
「はぁ。竿とか買わないとですね」
「いいんだよ竿なんて借りりゃぁ。釣り堀はそれが商売なんだからさ」
「はぁ」
そういうやりとりをしたことを憶えている。
しかし、その後、本当にオヤジさんと釣り堀に行ったかどうか
まるで思い出せない。
記憶が欠如している。
行ったような気もするし、行かなかったような気もする。
通夜が行われている寺は、今の住まいに近いところだった。
オヤジさんは、細長い箱の中に収まっており、
顔だけが見えるように蓋が開いていた。
私は、そっと覗き込んで、
「あの時、結局ヘラブナ釣りに行ったんでしたっけ」
と訊いてみたが、当然返事はなかった。
私は、東京に出てきてから
そのアパートに14年の間住んでいて、
時々隣にある大家の家で食事をしたりしていた。
娘さんとは、わりと仲が良かったので、
今でも年賀状のやりとりをしていて、
それで連絡を貰ったのだった。
妙な繋がりといえば、繋がりだなぁと思う。
帰る前に、もう一度焼香して行くか
と思って本堂に入ると、もう誰も居なかった。
葬儀屋らしき人が椅子を片付けていた。
「あの、もういちど焼香を」
「あ、どうぞどうぞ、線香でもいいですよ」
そう言うと何処かに行ってしまった。
見ると、焼香台の脇に線香の束が置いてあった。
私はそれを一本取ると、蝋燭の炎で火をつけた。
線香にうつった炎はなかなか消えなかった。
こういう場所では吹き消すんじゃなくて、
手ではたいて消すのが作法ってものだよな
と思って手ではたいたら、先頭の火の玉が床に落ちた。
赤い火の玉が、焼香台の下に敷かれた絨毯の上で燃えていた。
あ、いけない。
しゃがんで、あちちっとなりながら手で叩いたら
火の粉が細かく飛び散って消えた。
絨毯が焦げて、小さな黒い穴が開いた。
私はそっと周りを見回してみたけれど、
相変わらず誰もいなかった。
私はもう一度線香に火をつけると
こんどは炎を消さないで、
線香立てに立てた。
それから手を合わせて
「オヤジさん、これナイショにしておいて下さい」
と言った。
私はたまらなく可笑しくて、ひとりで笑った。
それから悲しみが姿を現した。

カテゴリー: 諸行無常 パーマリンク