そういえば、砂の嵐で思い出した。
夜中には電波が無かった。
テレビ局は電波を送信していなかった。
消し忘れたテレビには
一面の砂嵐が映っていた。
昔の話し。
電波が無いというのは「無」ではなかった。
そこにはノイズというものがあった。
ラジオもそうだった。
放送の終わったローカル曲の周波数に
合わせたラジオからは
宇宙の音がしていた。
今、夜中にテレビをつけると、
電波を受信していません。
などというまっとうな言葉が表示される。
デジタル技術の思いやりは
なんだつまらない。
何も無いなんて言うなよ。
意味があるか、無いか勝手に決めるなよ。
そうテレビに言ってみると、
分かってないな、それが便利というものなのですよ。
彼は自信ありげにそう言うのだ。
便利ってそんなにいいことかね。
もう少し何か情緒的なものが必要なんじゃないの。
そう問いかけると
テレビはただの黒い板になって黙りこくった。

カテゴリー: 諸行無常 パーマリンク