啓蟄

寒いような寒くないような
暖かいような暖かくないような
冬のような冬でないような
そういうのが、三月というものだろう。
風が吹いて、雨が降る。
啓蟄といって
虫が出てくる三月の五日。
真っ暗な宇宙空間を
ぐるぐる回りながら、
もの凄い速度で飛んでいる我々の星は
水を一滴もこぼすことなく
何事もないような顔をして
春を待つ。

ビデオデッキの腹が
張り裂けるほど映像が詰まっているので
私は
それをディスクに焼いて
消化する作業をしていた。
しかし、よく考えてみると
いったい何のためにディスクに焼いて
いるのだか分からなくなってきた。
何度も見るような映像が
それほど沢山あるわけではない。
ふと、私は、これを
いつか誰かにみせるために
焼いているのではないかと思って
ぞっとする。
誰かにみせて、共感を得ようとしている。
面白かったね、と言わせたいと思っている。
きっと誰も見ることはないのに。

小さい頃は、田舎だったこともあって
テレビに映るチャネルは僅かだった。
だから、翌日学校に行けば、
同級生は必ず同じテレビ番組を観ていて、
それについてコメントしあうことができた。
今はない。
いつ頃からそんなことが
なくなったのか分からないが
多様化したのだ、人も物も。
それぞれが、思い思いの方向を向いている。
テレビ番組の視聴率は上がらず、
CDも本も売れない。
多様化すると、共感は薄らぐ。
人に必要なのは教訓ではなくて
共感だと、いつだって思っている。
最近は
同じ方向を向いている小さなコミュニティを探して
そこに加わろうとする人が多い。
共感は今やそういうところにある。
潜んでいる。
ディスクなんか焼いて
番組を保存するのはやめようと思う
思うけれど。

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