わるきめです

「しばらく瞳孔が開いたままになりますけど、
 大丈夫ですか」
 私は待合室のソファーに腰掛けて
 まったくぼんやりしていたので、
 いきなりそう言われても何のことかわからず
 は? という顔で看護師のピンク色を見た。
 看護師はネコではなかった。
 ネコがやっているという目医者に
 ふと思いついて来てみたのだ。
「あ、この後、車とか自転車の運転をしたり
 するかという、そういうことです」
 何だか変な日本語だなと思ったけれど、
「いや、大丈夫です」
 と、私の口が喋った。
 ネコは院長だけだった。
 ひょろりとして、気難しい文学青年のような風貌だった。
 白衣はあまり似合わず、着物の方が似合うのではないか
 そんなことを思いながら
 瞼をめくりあげられて、ゆらめく光源を
 眺めなければならなかった。
「あぁ、やはり硬化した動脈が静脈を切断してますね、
 ほらここ、ここです」
 ディスプレイには、目玉の中の血管があった。
 網膜分枝静脈血栓症とかいう症状らしい。
 ネコ先生は紙芝居のようなフリップを持って喋った。
「つまり、こうして漏れた血液で腫れた状態に
 なっているわけです。だから視力も落ちると。
 しかし、それにしても血管が細いですね」
 はぁ、かよわいおじさんなものですから、
 などと私は言ったりはしなかった。
 思っていることを何でも喋ればいいわけではないが、
 想像というのは自由だ。
 苦難の中の楽しみというのは、そういうことであろう。
「あの、こういうことって、目の中だけなんですか」
 わりとまともなことを喋った。
「いや、体全体の血管がこのような傾向にあるということです」
 何だろう、それって一歩間違えば脳梗塞とかそういう
 ことなんだろうか。
 そう思ったけれど、訊かなかった。
 ネコ先生はカタカタと処方箋を打ち込んでいた。
「ま、三週間程様子を見ましょう。
 血液をさらさらにする薬と血管を強化する
 薬を出しておきますから」
 そして私はなんだか、少し草臥れたのである。
 薬を貰って帰った。

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