離れたところに立っているひとのようなもの

携帯電話を忘れて街に出た。
その事に気付いたのは家を出てまもなくだった。
立ち止まって、取りに戻ろうかと思ったけれど、
考えてみると、急いで連絡を取らなければならない
人もおらず、また自分に用事のある人などいなかった。
急いで見なければならないウェブページも
呟かなければならないことも無かった。
いいや。
そう思って、てくてくともう暮れてしまった道を歩いた。
鞄の中には、財布と折り畳みの傘と、
それから薄い文庫本が入っていた。
バスに乗って、私はその文庫本を開いた。
車内の照明は暗くて、本を読むには
適切ではなかったけれど、
読めないというほどではなかった。
その本は、随分昔に読んだ本だったけれど、
急にまた読みたくなった本だった。
どこかにハードカバーがあったはずだけど、
見つからないから、文庫で買い直した。
文字を追っていると、その物語が口を開けて、
すっぽりと私を飲み込むのがわかった。
あぁそうだったこの感じだった、と思った。
音が消え、人の話し声が聞こえなくなり、
周りの光が遠くなった。
物語のディテールはまったく違っていた。
そこは確かに、いつか来たことがある場所だったけれど、
前に来た時には見なかったものが
あちらこちらにあった。
たぶんそれが年月というものだろう。
これは、自分の中に堆積しているものが
反映された世界なのだろう、と私は思った。
しかし、もしかしたら私は、今まで小説の読み方を
間違えていたかもしれなかった。
小説も写真のように、前景と背景が分かれていて
背景は背景として、前景とは分離して見なければ
ならないのかもしれない。
私はそのように小説を読んでこなかった。
全ての文字が持つ意味を、同じ密度で解釈しようと
頑張ってきた。
それが小説を読むということだろうと思っていた。
しかし、それは写真に近寄りすぎて、背景も前景も
ごちゃまぜに見て、全景を見ず、それが芸術的な
表現だと誤解しているのと同じかもしれなかった。
自分が小説を読むのが遅いのも、飛ばし読みが出来ないのも
そのせいかもしれない、と思った。
街へ向かうバスの中で、紙の手触りとともに
そういう想いが降りてきた。

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