みなもの光

湾岸というものを知っていて、
川が海に注ぐ風景を思い浮かべることができ、
テレビの画面にもそのような景色が
頻繁に映るので、それは自分の居住する
東京の風景として当たり前になり、
それを肉眼で見ることを渇望したり
しないのが日常になっている。
しかし、それは実際に見ると違うものだ。
分かったような気になっていることが
あまりにも多い。
空はどこまでも遠くて、
水面は複雑に波立っているわけだし、
時々行き交う舟の上に立っている
男の背筋の伸び方とか、
褪せた色の船体が水の上を滑る感じとか。
そのような光の細工を
月島の橋のたもとに立って私は見ていた。
どちらかというとみとれていた。
近くのベンチに座っている若い男は
長い包帯を足に丹念に巻いているところで、
杖をついた老人は静かに空を見上げており、
どこからか来た男女は携帯端末で写真を撮り合い、
小さい子供の手を引いた若い母親が通り過ぎる。
夏の終わりの潮風を吸い込みながら
私はいつまでも、自分の世界に投影される光を見ていた。

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