八月に入った。葉月。
しばらくの間、夏の休み。
何もせず、ただ寝たり起きたり、
食べたり飲んだりしている。
テレビを点けるといつでも
泳いだり、走ったり、打ったり、投げたり、
放ったり、つついたりする人々が現れるようになった。
なるほどオリンピックというものだ。
冷房の風にあたりながら、
僕はそれをぼんやりと見ている。
とりたててスポーツ好きというわけではないのに
日本の選手が勝利を手にすると
何だか誇らしい気持ちになったりするのはなぜだろう。
応援というのは、人のためのものではなくて
きっと自分のためのものなのだ。
それは恋愛というものと、少し似ているかもしれない。
この頃、言葉が出てこない。
言葉が出てこないのは
きっと言葉を呼び出すための手続きが
欠けているのだと思う。
言葉は言葉によって引き出されるもので、
それはつまり読むということや
何か特定の事柄について人と話す
というようなことだと思う。
そのどれもが欠けている。
種というものがどこにも見あたらない。
そういう時は、どうしたものだろう。
空ばかり眺めていても
答えはやって来ないだろうか。