夏について考察する

月曜日、自転車のタイヤに空気を入れると
夏は帰ってきて、遠い空から見ている。
ざわめきながら文を目指す
黄色い小学生の群れはどこかに消えて、
光だけが焼き尽くすのがアスファルトというもの。
代わりに土の中から蝉が出てくるのだ
接ぎ木のように、命を繋ぐために。
アイデンティティとは何であるか
彼らはそんなことを考えはしないだろう。
ただ、鳴き続けるのだ。
それが命というものだと夏に刻む。
それはもしかしたら、耳鳴りかもしれなかった。
偏頭痛持ちは天井に開いた
冷房の吹き出し口を恨むだろう。
何だって身近なことに違いない。
ノイズというのは至る所にあって、
それがひとつの季節を作っているのだから
実際のところ、それに気づいてはいけなかったのだ。
当たり前という箱に詰めて
押し入れの中で静かに眠らせることをお薦めする。
呼吸をすることを忘れていないか。
掌に息を吹きかけながら、息を吐けばいい。
リラックスとは
惚けた熊のぬいぐるみのことではない。
ここはどこなのか、私は誰なのか
あなたは何のためにそこに存在するのか
そのようなことは
みんな夏のせいなのであって、
さほど重要なことではない。
何でも学ばなければならないと思うことは
学ぶことが目的である以上、愚かなことなのだ。
曲がり角を曲がってしまったかもしれないが
それは良くあることだ。
見渡す限り真っ直ぐな道などありはしない。
分かったら、もう眠りましょう。
そして、もしあれば、明日に備えましょう。

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