かめはのろい

 少しずつ散らかった部屋は、
 少しずつ片付ければよい。
 少しずつざらついた心は、
 少しずつ滑らかにすればよい。
 一気にどうにかなったものは
 一気に元通りにできるけれど、
 少しずつどうにかなったものは
 少しずつしかどうにもならないのだ。
 時々間違えて、一気に片付けようと
 頑張ってしまって、そのどうにもならなさに
 草臥れて、もうやめてしまおうとか
 そんなこと、思わなくてもよい。

「金星がね、太陽の前を横切るんだってね、見えるかな」
 亀山くんはそんな事を言う。
「さぁ、肉眼じゃ無理なんじゃない」
「やっぱり。うーん」
「そんなに見たいの?」
「だって、これを逃したら百年先だって言うし」
 この世界にあるすべてのものは
 もう二度と見られないものばかりで
 構成されているのに、
 亀山くんは太陽の前を通り過ぎる金星のことが
 とても気になるらしい。
 もう見られないから見るんじゃなくてさ、
 見たいから見るって、言ってみたら。
 そう僕は言いそうになったけれど、
 亀山くんは、もうカレー屋のページを見ていて
 だから何も言わなかった。

 魚を焼いた網を
 ごしごしと洗ったスポンジで
 グラスを洗ったら
 案の定、魚臭くなってしまって、
 それで魚臭い麦茶を飲んでいる。
 明日はグラス用に別のスポンジをおろそう。

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