いつだって僕たちは、絶望の淵に立っている。
ずっと、そのことを知らないで歩いているけれど、
ある日、ここが尾根道で、
両側は絶壁なのだと分かって怖じ気づく。
今まですたすた歩いて来たくせに
恐る恐る歩くようになる。
それが、経験というものだろう。
いつの間にか六月になっている。
そのことに馴れない。
今年はもう半分通り過ぎたのだと言われても
ただ空を見るばかりで
具体的な出来事で組み立てられている気がしない。
そこに実績という階段はなくて
足で地面を蹴って、しばらくの間
空中に飛び上がっているだけなのだ。
そんな気がしてくる。
技術ではなくて、足りないのは想いだろう。
ワーゲンのビートルが新しくなったと
友達が言っていた。
ウエブで見ると、とても美しい内装で、
いいな、こういう車に乗りたいなと思いながら、
おや、何か違うなと思う。
ずっと前、車やバイクはどこか遠くに行くための手段だった。
自分にとって。
自分の場所ではないどこかに、圧倒的な力で
全速力で逃げ出すための道具だった。
ぼろぼろでも何でもよくて、
ただ、駆ける力のみが必要だった。
いつからか、まるでそれ自体が目的のようになっている。
もちろん、それは悪ではないが、
目的は手に入れるものではなくて
通り過ぎるべき場所でなければならないと思う。
自分の中の間違いを正さなければならぬ。
もうすぐ雲が厚くなって
雨の季節になるだろう。
僕はいつだって、空を見ている。