感謝シラズ

母は六年前の夏に死んだ。
ちょうど私の誕生日が葬式で
私はわらじを履き、母の棺を担いで
集落の出口に止まった霊柩車まで歩いた。
夏の暑い日だった。
母にちゃんと感謝を伝えたことはなかった。
私ばかりではない、兄も、父も、祖父母も
母に心から、ありがとうと言っているところを
見たことはなかった。
何となく感じていることが、
もしも伝わっていたとしても、
それは感謝というものではないだろう。
してもらったこと、したことを
具体的にひとつひとつ思ってから
ありがとうと言葉にすることが感謝だろう。
友達にしても、恋人にしても
目の前に居る間に、そうやって
伝えないと、感謝は行き場を失って
永遠に彷徨うことになるだろう。

母が死ぬ三日前に、書いた日記を
久しぶりに読んだので、それをここに載せておく。
感謝を込めて。

積乱雲が青空に膨れ上がって
遠い雷の音を合図に吹き始めた風が
裏山に生茂った木々をざわつかせて
雨の匂いを運んでくる
このところ一日に二度も夕立がある

 昨日の午後、僕は竹ボウキで寺の前庭を掃いていた。実家の寺は山裾に建っているので、放っておくとすぐに木の葉で埋まる。雨が降り出す前に掃いてしまわないと地面に張り付いて掃きづらくなるのだ。朝からおびただしい落ち葉で埋まった墓をこなし、前庭に取り掛かったが、何分一人でははかどらないのだった。父も兄も義姉も別の作業をしていて、姪は多分部屋でパソコンをいじっている。ぽつぼつと雨滴が腕に落ちてきて、僕は手を速めた。親指の付け根の皮が擦りむけて痛んだ。
 家の中で電話が鳴るのが聞こえ、しばらくして兄が玄関に出てきて手招きしているのが見えた。近づくと、母の様態が変わったらしいので先に病院に行ってほしいと言った。竹ボウキを兄に押しつけて、着替える間もなく慌てて車に飛び乗って病院に向かう。病院までは川沿いの信号が一本も無い道を車で5分程だ。南の空は晴れていたけれど雨は激しく降っていて、ワイパーで左右に分けながら晴れに向かって走った。カーステレオからシガーロスの曲が流れていた。
 病院に着き集中治療室に飛び込むと、看護士が先程から急に血圧が降下したんですと言った。モニターを見ると、最高血圧が60を示している。一時40台まで落ちたが、院外にいる主治医からの指示で投薬し少し戻しているという。
 しばらくして主治医が駆けつけてイノバンの滴下量を10倍に増やし、フルクラフトの点滴にノルアドレナリンを二本注入するように看護士に指示してモニタで血圧を監視する。最高血圧が110位に戻ったのを確認してから薬量を微妙に調節しながら安定するのを待つ。
 主治医の話では、多分この段階で循環器をコントロールしている脳の部位が機能を停止し、脳の制御を外れた心臓が乱れたのであろうとのこと。驚いたことに臓器というのは脳からのコントロールが失われても、個々に動作を続けるようになっているのだそうだ。ただ、コントロールを外れると勝手に動作し、やがて多臓器不全の状態に陥る場合が多いようだ。今は薬によって脳のコントロールの代わりを行い何とか心臓の作動を維持しているとのこと。つまり母はすでに脳死に近い状態にあるのだった。けれど、そっと母の腕を取ってみるとほんのりと温かく、この温度を作り出しているのはまぎれもなく母なのだと思った。
 そうしてまた集中治療室控え室での生活が始まった。日の当たらない部屋、湿った空気とむき出しの蛍光灯、鳴き立てる蝉の音。母の心筋がくたびれて停止するのをただ待つだけの独りきりの時間。コンビニで買ってきたペットボトルのお茶を飲みながらこれを書いている。魂が離脱するのは、脳が駄目になった時なのか、それとも心臓が機能を停止した時なのか、どちらだろうと思いながら。

カテゴリー: 諸行無常 パーマリンク