しもしもし

 夜、電話がかかってきた。
「もしもし、おとうさんだけど」
 電話の向こうの人はそう言った。
 擦れた声だった。
 おとうさん?
「もしもし、おとうさんだけど」
 またそう言った。
 それは、確かに父親の声だったから
 私は不思議な気がしたのだ。
 つまり、電話の向こう側には
 81歳の父親がおり
 私に対して、おとうさんだ
 と言っているということが。
 人はそんな歳になっても
 息子に対して自分のことを
 おとうさんだ、というんだっけ
 俺とかワシとか素直に名前とか
 そういうふうに言うように
 なるんじゃなかったっけ
 関係って変化するものじゃないのかな。
 少しだけそう考えた。
 小学生の頃、ふざけて同級生に電話を掛け
「もしもし、おれオトナだけどな、
 金持って遊びに来い」
 と言ったことがあった。
 あれと同じような妙な羞恥。
 冗談として笑い飛ばしたい気持ち。
 自分は身近な人に対して
 自分のことを何て言っていただろう。
 だいたい名前か俺か僕か、そんな感じ。
 もしもし息子だけど、とか、
 もしもし彼氏だけど、とか
 言わないではないか。
 それで、電話の内容は法事の確認だった。
 もはや血縁関係者と連絡を取り合うのも
 冠婚葬祭の時だけである。
 たぶんお互いが、そう望んでいるのだろう。

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