「三月」という言葉には希望がある。
春というものがすなわち幸福を示しているからだ。
それは単に「暖かい」というだけであるが、
ただそれだけのことで、草木は芽吹き
花は開き、人々はコートを脱ぎ
新しいことを始めようとする。
地軸の僅かな傾きが、これほど人々の精神を
左右しているということに驚く。
生き物にとって大切なのはただ環境なのだ。
冬の無い国に住んでいる人々の
絶望感や幸福感はもっと違ったものだろう。
小さい頃、三寒四温というのは
三月が寒くて四月が温かいということだろう
なんだ当たり前じゃないかと思っていた。
それが、三日寒くて四日温かいということだと
気付いたのは中学生くらいになってからだった。
無知というのは怠惰と同じくらい忌むべきことだ。
そうして、季節は進んでいる。
前線がまた頭の上を行ったり来たりしている。
気温は耐久試験のように上下する。
体調に気をつけて、などと挨拶をするけれど
自分は調子が良くなかったりする。
季節のせいだったらいいのだけれど。
いつも鞄に傘を忍ばせておかなければならない季節。