
きつねうどん。
370円。
温かさを買って、体の中に納める。
冷たい季節、
いとしさとは、そういうことだ。
うどんにコシは要らない派の僕には
讃岐うどんとか
そういうのではなくて
駅前にある富士そばの
きつねうどんの方が合っている。
ケミカルな後味が少し残念ではあるけれど。
色々な人が言う、うどんに対する蘊蓄は
まったく僕の中にある価値観と異なっている。
ずっと昔は
自分の中にあるもの全てが間違っていると
思っていたから、
人が良いというものを何でも信じた。
でも実際のところ
そういうことって、絶望への入り口に
近づくだけなのだということに気付いた。
あらゆるものとの距離は
自分で測るべきだった。
失ってはならないものがある。
それは意固地になることではなくて
価値というものについて
自分の素性とよく見比べることなのだ。
安易に一般的なものと置き換えるべきではなく、
言い換えるべきではない。
代弁者を求めることは
少しずつ自分を損なうことでもあると思う。
取り込むことは
解釈することで
取り替えることとは違うのだから。