予防接種

今年のはいつものより少し痛いですよ。
マスクから目だけ出した女は医師で、
注射器を準備しながら言った。
そうなんですか。
僕はそう言って針の先を見た。
しかし、だからといって僕には
どうしようもないことだったから、
そういうやりとりに、これといって
意味はないだろうと思う。
こういう時は、駅前の新しくできたカフェが
わりと落ち着きますよとか、そういう
世間話をした方がましなのではないだろうか
と、少し思いながら、針が腕を突き刺すのを感じていた。
女医はとてもゆっくりと薬液を注入した。
しかし、予防接種というのは
薬でも何でもなくて、戦闘訓練の開始だ。
仮想の敵を体内に送り込んで、戦うための学習をさせる。
戦っているのは僕自身なのだ。
今日はお酒と運動は控えてください。
医師の言うことはいつも、ユーモアがなくてつまらない。
しかも、この人には口が無い。
はぁ、わかりました。
そう僕は自動的に言った。
何もわかってやしなかったけれど。
その夜、風呂に入って腕を洗っている時に
注射の後に貼られた絆創膏に触れて
予防接種のことを思い出した。
腕がぷっくりと腫れて、体が怠かった。
僕は戦っている最中だ。

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