通過するものは何

通り過ぎるのは雨。
そして季節のこと。
どこかで玉手箱を開けてしまって、
煙がもくもくと立ちのぼり、
あっというまに年老いて
浜辺を歩いているような感覚。
大切なのは、
何がしたいかではなくて
なぜそうするのかということだ。
神の言葉なんてどこにもなくて、
それはただ見ているだけなのだ。
与えられるわけではなくて
気付くだけなのだ。
ひゅるひゅると風の音、
いや、風に音なんかなかった
薄く開けた、窓が鳴っている。
それは窓の音ではないか。
どちらでも構わないじゃないか
そうよそんなの考えること自体
面倒臭いことでしょ。
しかし、世の中には面倒臭いことしか
存在しないのだから
それで普通のことなのではないか。
「余地」というものの重要性を
少し考えてみたほうがいい。
明白なことはつまらないから。

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