忘れな草

突然、何もかも思い出せなくなって
いったい自分は何者なのか分からなくなる
そういう時が来るだろうか。
記憶のすべて、ものごとのすべては
まるい輪郭だけになって、
ぼんやりと霧の向こう側に
何かがあるけれど、それが何なのか
知っているはずなのに、分からない。
抗う気持ちは、いつまで続くだろう。
そして何かを思い出すことを諦めた時に
自分も霧の向こう側に消えるだろうか。

最近、記憶というのは何だろうと考える。
それはすべて過去のことだろう。
時間の流れの中に生きていて
自分に関連するすべてのものが
関連を保ったまま同じように
時間の流れの中を流れてゆくということが
何だかとても不思議で、
いや、そんなはずはない、
何者かは先に流れてゆき、
何者かはどこかに引っかかって
留まっていたりするのが流れという
ものではないだろうか、と思ったりする。
記憶というものは、取り出した時に
「今」というものに変わるのだろう。
そうだとすれば、それは「意志」
というものに似ている。
草花や動物が進化して形を変えるように
それはきっと、目に見える「形」として
表すべきことなのだ。

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