いつのまにか
月は丸くなっていて
しかし、丸い月を見るのは
この夏の最後なのだろうと思うと
それが何かとても
別れがたいものに思えて
少し高く昇った月を
ずっと見ていたけれど、
首が痛くなって
やめた。
辿り着いたらもう
日付がかわるころだった。
相変わらず蝉は鳴き続けていた。
エントランスで女性が
鞄の中に手を突っ込んで掻き回していた。
どうも鍵が見つからないようだった。
「こんばんは。開けますよ」
僕はそう言って、鍵穴に鍵を差し込んで
エントランスの自動ドアを開けた。
「あ、どうもすみません」
そう女性は言って、鞄の中に手を
突っ込んだまま僕の後ろに続いた。
いや、ここは僕の家でもあるので
別にすまなくはないのですよ
と言おうかと思っていたら
「あ、ありました、ありました」
と女性は言って目の前で
キーホルダをゆらゆらと振った。
僕は頷いて、それから
「今日は、満月ですね」
と、文脈とは関連の無い言葉を置いてみる。
人を知ろうとする時には
常套的な答えが用意されていない言葉がよい。
「あ、でも昨日の方が、月が大きく見えたような気がします」
彼女はそう言った。
「あぁ、少し雲がかかっていた方が、大きく見えるのかもしれませんね」
そう僕は言ってしまってから
あまり面白くない返しだったと後悔した。
しかし、本当の満月というのは一瞬で
日曜の午前四時くらいですから、
昨日の夜遅くの方が厳密に言うと大きいのです
それから刻々と欠けてゆくのですから
などと言うのも、まぁちょっと理屈っぽくて
変人みたいだから、それでよかったのかもしれない。
「おやすみなさい」
そう言い合って、エレベーターのドアは閉まった。
生存するということは
何でもないことの繰り返しで
しかし何でもないと思うから生きていられるのだろう
そんな気がする。