どうも空っぽで困る。
何もないというよりは、要らない物が
詰まっていて、必要なものが入らない感じ。
会社の弁当メニューに「空揚げカレー」というのがあった。
「そらあげ?」
頭の中には何か凧のような風景が浮かんだ。
それって「唐揚げ」の間違いだよな
そう思ったけれど、念のために辞書を引いてみたら
どちらも「からあげ」だった。
世の中には、どちらでもよいことが沢山ある。
最初に言葉をどこに置くか
それが重要なのだ。
それは、囲碁の最初の手に似ているかもしれない。
碁を打ったことはないけれど。
間違えるとうまくいかない。
ゴミのように積み重なって
見るのも厭になってしまう。
本当は積み重ねてはいけないのかもしれない。
テーブルの上に新聞を置いて
翌日の新聞をさらにその上に置くと
それだけで、とてつもなくその部分の
時空というのは歪んでいる。
一週間後にはジェンガのように
うずたかく積まれた新聞の山が出現する。
積み重ねることが
いいことだと言われてきたけれど、
違うような気がする。
積み重ねた瞬間にそれは日常になる。
ルーチンワークになって空に伸びてゆく。
りっぱな山が出来ましたね
というのは褒め言葉ではなくて
解釈することができないという感嘆符なのだ。
汚れはすぐに拭き取り
出した物はすぐにしまう
そんなことは当たり前なのだけれど。
霧のような雨が降っている。
風は北風で、薄く開けた窓から流れ込んでくる。
何事も風向きで決まるのだ。
太陽の角度だけで季節は動かない。
自分で自分に悪い言葉を浴びせてはいけない。
たとえば「駄目だ」という言葉。
それは言葉が消えたあとも、心を侵食し続け
どこか深いところを壊す。
自分が自分にかけた言葉というのは、
気付かないけれど、言葉ではない何かに変化して
ずっと自分に染み込み続けるのだ。
一旦染み込むと、それを取り除くのは
容易なことではない。
それは、何か思い出せないことがあった時
何日かして突然思い出して、あっと思うのと同じように
無意識の中で作用し続ける。
自分で自分をおとしめないこと。