また雨が通り過ぎて、
季節が少し進む。
太陽の位置が高くなって、
影が短くなる。
風が吹いて、カーテンが揺れる。
五月というものもまた
そうやって、僕の前を通り過ぎてゆく。
窓ガラスを綺麗に拭いて、
夏のような光を迎え入れよう。
もちろんレースのカーテンを通して。
時間の単位というのは
人それぞれ違うのではないかと
このごろ思う。
つまり、これ以上小さくできない
時間のかたまりという意味で。
同じ一時間でも、細かく刻んで
色々なことを沢山こなせる人と、
そうでなく、二つか三つしかできない
人がいるのではないだろうか。
そうだとすると、自分は完全に後者で
それを一般的にのんびりしているとか
軽蔑の意味を込めて、のろまだとか
言うのだろう。
さて、時間の単位を細かくするには
どうしたらいいのだろうか。
それはたぶん、予定することなのだろうと思う。
何事も行き当たりばったりというのは
混沌とした現実を反映してしまう。
それは前衛的な所作で、時々面白くもあるけれど
大部分はつまらないものになる。
意味付けはコントロールされなければならない。
成功するプログラミングと同じように。
さて。