五月ということ

空気が徐々に湿り気をおびていることが
わかったら、五月になっている。
誰も五月になったよと言い合う人はおらず
それが喜びなのか悲しみなのか分からぬまま
季節というのは勝手に進むものなのだ。
いまさら、ベランダでそういうことに
気付いたとしても、何の問題もないだろう。
それは、誰かの問題ではなくて
ただ僕だけの問題なのだから。
そこに居るだけで、何も言わず、何も訊かず、
ただ見ているだけなのが、神というものだと読んだ。
手出しをするわけではなくて
物事をちゃんと考えて結果を作ってゆくために
神を存在させるのだろう。

昼間見る夢はいつものように
あまりよい夢ではなくて
だから昼間に眠ってはいけないのかもしれないが
どうしても永遠が訪れて、深く沈んでゆく。
今日見た夢は
バッハの曲がうまく弾けないという夢だった。
それは祈りにも似て、苦難の道だったけれど
何かをしようと試みている
ということで、少しだけましに思えた。

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