月の光

咳が止まらない。
確か去年もそうだった。
春先にひいた風邪が治ると、咳だけが残った。
喉の奥に何かが引っかかって取れず、それを無理矢理
排除しようとしているみたいに、咳は深く長く続いて、
薬もあまり効かなかった。
ごほごほと湿った咳はまるで老人のようだ。
もう一生止まらないのではないかと思えてくる。
しかし、咳はあるときぴたりと止まる。
それは確かだ。
それが何故なのか、春が訪れたからなのか
そんなことは、よく分からないのだけれど。

地震の時に作業部屋の本棚が倒れて、それから
積んであった荷物を詰めた段ボール箱も倒れて
部屋の中がぐちゃぐちゃになって、もう片付けるのも
面倒な感じだったから、そのままにしていた。
本棚が倒れると面倒この上ない。
しかし、いつまでも放っておくわけにいかないので
やっと片付けをはじめた。
夢の島のように盛り上げられた本の山。
一番上になっているのは本棚の奥にあったものだ。
ぱらぱらとめくると、古い本の匂いがした。
確かに読んだはずの本で、自分の構成要素の一部で
あるはずの言葉たちも、よそ行きの顔でそこに並んでいた。
どんな時でも、見えるのは片方の面であって
全てを見たようなつもりになってはいけないのだ。

ところで、今夜は月が近づいている。
なんでも十九年振りくらいに近いということだ。
それは月の力が強くなっているということでもある。
ベランダに出て見ると、月は確かに大きくて明るかった。
何か絶対的なものに対して、願い祈りたくなる今日この頃。
願いが届いても届かなくても、祈りが通じても通じなくても
ただこうして月を見て、月の光を浴びている。
ただ、それだけで十分な気がした。

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