好きではない言葉はなるべく使わないようにしている。
別に使わなくても、他の言葉で置き換えればいいし、
どういうことばで置き換えるか考える方が楽しい。
そういう言葉の中のひとつが「チャリ」という言葉。
知り合いに時々「今日はチャリで来たの?」と
訊かれることがあるけれど「うん、自転車で来た」
と言い直している。「チャリンコ」という言葉も同じ。
理由はなぜだか分からないけれど、私は、たぶんその
少し軽薄に聞こえる響きが嫌なのだろう。
そういえば、ずっと昔、僕は東北を旅行した。
暑い夏で、僕は確かまだ二十代の前半だった。
乗せてもらった、車のダッシュボードには
バネ式の人形が付いていて彼女がブレーキを踏む度に
ぼよよよーんと揺れた。
「それで、こんなところで何やってるわけ」
彼女はシフトレバーを高いギアに入れながら言った。
「いや、べつにその旅行っていうか、夏だし」
「ふーん、旅行ね」
それきり、彼女は何も言わないでアクセルを踏み
車はどんどんスピードを上げて、緑の中を走った。
運転は乱暴だった。でも、小気味よくカーブを曲がり
景色はどんどん遠くなった。
国道沿いに、広い駐車場のある小さな喫茶店があった。
それはよく田舎にある寂れた感じの喫茶店だった。
彼女はぐぐぐっとハンドルを切って、他にほとんど
車の止まっていない駐車場に車を入れ、サイドブレーキを
ぎぎぎっと引いた。
「この間、姉ちゃんの男に会ったよ」
エンジンを停止した車はもう外の熱を感じた。
「そう」
「なんか、こう、つまんない感じの男だったわ」
彼女はドアを開けながら言った。
彼女の声と一緒に蝉の鳴き声が流れ込んできた。
「そう」
僕もドアを開けて外に出た。
喫茶店には僕たちの他には誰もいなかった。
音楽もかかっておらず、薄暗かった。
ご注文は何にしましょう。
店員はそう言った。
「ええっと、レスカで」
僕はそう言った。彼女は僕を睨みつけてから
「アイスコーヒー」
と小さな声で言った。
「あのさ、何で、レスカ、とか言うの。
普通にレモンスカッシュって言えないの」
「え」
「そういうのが、だめなのよ」
彼女はそう言うとトイレに立った。
ただ、それだけだけど、
それから随分と経って、彼女の姉のことは忘れても
なぜか彼女のその言葉だけを、強くおぼえている。