捨てるのに必要なのは技術ではない

何も持たないで生まれてきたはずなのに
気がつくと、沢山の物を持っている。
毎日のように玄関のドアを越えて、何かしら物が運び込まれている。
同じだけ運び出していなければ、当然物はどんどん溜まってゆくわけだ。
捨てられないのは、それらの全てを大切に思っているからではなくて、
ただ捨てるのが面倒なだけである。
喜んで運び込むくせに、運び出すのが面倒なのはなぜだろう。
それはたぶん何事も、捨てるときにだけルールが必要だからだ。
昔からルールというものが嫌いだった。
しかし、持ち物にしても、関係にしても、それは透明人間に着せた
服のようなもので、その人の形にフィットして、その人を表してしまう。
だから、物を捨てるということは、その人の形状が
変化するということでもある。
いや、変化するというよりは、薄着になることで
その人のありのままの形に、より近づくということか。
厚着というのは、冬の寒さはしのげるかもしれないが、
動作も緩慢になるし、第一部屋の中では必要がない。
もしかしたら、私は、いまだに寒い冬の小径を歩いている
つもりでいるのかもしれない。

カテゴリー: 諸行無常 パーマリンク